Preacher Man

優しいんじゃ無いんです、臆病なだけなんです、僕は

 

真剣にやれる場所、真剣にやること、それが大切。

 

本気度が違う。ハングリー精神の有無?

お坊ちゃんの黄昏。興味がない。

 

怖い、こわい。時間も怖い。

酒を飲む気にすら、ならない。

 

感情がない。嬉しいも、悲しいもない。

 

疲れちゃった。めんどくさい。

 

もう、限界です。

 

ごめんなさい。

 

もう、言い返す、話し合う気力すらない。

 

僕はやっぱり、宗教哲学をやりたいです。美しいものに惹かれます。

K先生の意思を継ぎたいです。

社会問題に、興味はありません。

 

終わらせることは、簡単だ。

だが、非常に難しい。

 

ずっと、やめるタイミングを探していた。

煙草を燻らせながら、断頭台を夢見ている。

無邪気になれ、下心を無くせ、と言う。

だが果たして、人間に、そんなことが出来るのだろうか。

 

子育ての面倒さ、自己犠牲、

 

僕にとっては、イエスが復活したかなんて、どうでもいい。イエスが、裏切った者のために、自身を迫害する者のために、本気で祈り、愛を示そうとしたことが、何よりも美しいのだ。

 

偽善者:善に憧れてはいるものの、実践しようとしない者。

 

I'm playing with God.

Don't pick up the toy from me.

 

言語ゲームで退屈はしのげない。

 

こわくて、シラフでは煙草を吸えない。

 

酒は重き心を持てる人に翼を与ふ。

 

スーパーで大量の食材を見ても、人間の傲慢さに、ただだだ虚しくなるばかり。頭がくらくらする。

生き物だったものの残骸たち、大量の記号、人間の死んだような顔、僕は恐ろしくて、とても、シラフでスーパーマーケットには入れません。

 

 

生まれちまったかなしみに、

今日も小雪の降りかかる

生まれちまったかなしみに、

今日も風さえ吹きすぎる

 

生まれちまったかなしみは、

たとえば狐の皮衣

生まれちまったかなしみは、

小雪の掛かって縮こまる

 

生まれちまったかなしみは、

なに望むなく願うなく

生まれちまったかなしみは、

倦怠のうちに死を夢む

 

生まれちまったかなしみに、

痛々しくも怖じ気づき

生まれちまったかなしみに、

なすところもなく日は暮れる

Guilt, it's the taste of honey.

私は、他人の罪悪感に、悦びを覚える。

罪悪感を覚えない者は、余り好きではない。

 

常に明るく、常に優しい人間など、果たして、この世に存在するのでしょうか。

 

神に酔うより、酒に酔った方がいい。

 

 

あの人に一体、何が出来ましょう。何にも出来やしないのです。

 

けれども、私だけは知っています。あなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。
それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。どうしたのでしょう。

 

 

太宰治より

私は変人に非ず

 

 先月号の小説新潮の、文壇「話の泉」の会で、私は変人だと云うことになっているし、なにか縄帯でも締めているように思われている。また私の小説もただ風変わりで珍らしい位に云われてきて、私はひそかに憂鬱な気持ちになっていたのです。世の中から変人とか奇人などといわれている人間は、案外気の弱い度胸のない、そういう人が自分を護るための擬装をしているのが多いのではないかと思われます。やはり生活に対して自信のなさから出ているのではないでしょうか。
 私は自分を変人とも、変った男だとも思ったことはなく、きわめて当り前の、また旧い道徳などにも非常にこだわる質の男です。それなのに、私が道徳など全然無視しているように思っている人が多いようですが、事実は全くその反対だ。
 けれども、私は前にも云ったように、弱い性格なのでその弱さというものだけは認めなければならないと思っているのです。また人と議論することも私にはできない、これも自分の弱さといってもいいけれども、何か自分のキリスト主義みたいなものも多少含まれているような気がするのです。
 キリスト主義といえば、私はいまそれこそ文字通りのあばら家に住んでいます。私だってそれは人並の家に住みたいとは思っています。子供も可哀そうだと思うこともあります。けれども私にはどうしてもいい家に住めないのです。それはプロレタリア意識とか、プロレタリアイデオロギーとか、そんなものから教えられたものでなく、キリストの汝等なんじら己を愛する如く隣人を愛せよという言葉をへんに頑固に思いこんでしまっているらしい。しかし己を愛する如く隣人を愛するということは、とてもやり切れるものではないと、この頃つくづく考えてきました。人間はみな同じものだ。そういう思想はただ人を自殺にかり立てるだけのものではないでしょうか。
 キリストの己を愛するが如く汝の隣人を愛せよという言葉を、私はきっと違った解釈をしているのではなかろうか。あれはもっと別の意味があるのではなかろうか。そう考えた時、己を愛するが如くという言葉が思い出される。やはり己も愛さなければいけない。己を嫌って、或あるいは己を虐しいたげて人を愛するのでは、自殺よりほかはないのが当然だということを、かすかに気がついてきましたが、然しそれはただ理窟です。自分の世の中の人に対する感情はやはりいつもはにかみで、背の丈を二寸くらい低くして歩いていなければいけないような実感をもって生きてきました。こんなところにも、私の文学の根拠があるような気がするのです。
 また私は社会主義というものはやはり正しいものだという実感をもって居ります。そうしていま社会主義の世の中にやっとなったようで、片山総理などが日本の大将になったということは、やはり嬉しいことではないかと思いながらも、私は昔と同じように、いや或いは昔以上に荒すさんだ生活をしなければならん。この自分の不幸を思うと、もう自分に幸福というものは一生ないのかと、それはセンチメンタルな気持でなく、何だかいやに明瞭にわかってきたようにこの頃感じます。
 あれ、これと考え出すと私は酒を飲まずにおられなくなります。酒によって自分の文学観や作品が左右されるとは思いませんが、ただ酒は私の生活を非常にゆすぶっている。前にも申しましたように人と会っても満足に話が出来ず、後であれを言えばよかった、こうも言えばよかったなどと口惜くやしく思います。いつも人と会うときには殆どぐらぐら眩暈めまいをして、話をしていなければならんような性格なので、つい酒を飲むことになる。それで健康を害し、或いは経済の破綻はたんなどもしばしばあって、家庭はいつも貧寒の趣きを呈しております。寝てからいろいろその改善を企図することもあるけれども、これはどうにも死ななきゃ直らないというような程度に迄までなっているようです。
 私も、もう三十九になりますが、世間にこれから暮してゆくということを考えると、呆然とするだけで、まだ何の自信もありません。だから、そういういわば弱虫が、妻子を養ってゆくということは、むしろ悲惨といってもいいのではないかと思うこともあります。

人間失格より

無駄な御祈りなんか止せったら
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まァ一杯いこう 好いことばかり思い出して
よけいな心づかいなんか忘れっちまいな

 

不安や恐怖もて人を脅やかす奴輩は
自らの作りし大それた罪に怯え
死にしものの復讐に備えんと
自らの頭にたえず計いを為す

 

よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめて只に荒涼
いぶかし 一夜さの中
様変りたる此の気分よ

 

祟りなんて思うこと止めてくれ
遠くから響く太鼓のように
何がなしそいつは不安だ
屁ひったこと迄一々罪に勘定されたら助からんわい

 

正義は人生の指針たりとや?
さらば血に塗られたる戦場に
暗殺者の切尖に
何の正義か宿れるや?

 

いずこに指導原理ありや?
いかなる叡智の光ありや?
美わしくも怖しきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ

 

どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許りに
善だ悪だ罪だ罰だと呪わるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧く力も意志も授けられぬ許りに

 

どこをどう彷徨まわってたんだい
ナニ批判 検討 再認識?
ヘッ 空しき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮の思案さ

 

どうだ 此の涯もない大空を御覧よ
此の中にポッチリ浮んだ点じゃい
此の地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい

 

至る処に 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
同一の人間性を発見する
我は異端者なりとかや

 

みんな聖経をよみ違えてんのよ
でなきゃ常識も智慧もないのよ
生身の喜びを禁じたり 酒を止めたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い