悪寒

前提:社会の中に、人間が数え切れないほど沢山いる。

⇒個々の関係は、近代的人間関係に基づく。

=個々の人々は、商品を通じて互いに関係を結ぶ。(※)

⇒人間の数が増えれば増えるだけ、商品の数も増え続ける。

 


★商品の数は、人間の数に依存する。

資本主義社会において「人間の数が減っている」ということは、どういう意味を持つ?

当然、利潤は得にくくなる。商品を生産する数も売れる数も減るから。(需要の減少)

⇒人口の減少は、資本主義の終焉をもたらすか?

 


もし資本主義後の社会が訪れるなら、「世界人口70億人なんてバカじゃねぇの」って言われると思う。繁殖しすぎ。その世界には人口がどのくらいいるのか分からないが、今より圧倒的に少ないと思う。

ただ、これだけはいえる。少なくとも「利潤の為」の商品を通じて人間関係を築いてはいない。絶対に。(もしそうでないなら、それは資本主義社会のままか、資本主義以前の社会だからだ。)

 

 

 

全ての人間が仏教徒みたいな質素な暮らしをしない限り、資本の増殖は止まらない。

皆ちょっとした贅沢をするから。(誰もが、生きる上で必要のない商品を購入しちゃうから。)これが物質的豊かさを求める人間のこわいところ。ホントに恐ろしい。

 


(※)すごく不快。この社会が嫌いになりそう。消えてしまいたい。

僕が、まだ知らない人間と出会うには電車に乗ったりしなきゃいけない。

僕は、テレビやスマホを通じてまだ会ったことのない人について知る。

これら(電車、テレビ、スマホ)は全て商品なんだよね。

昔だったら、自分の住んでいる地域の外にいる人々なんて、個人が一生を通じて知りあう可能性がないような存在。今ではそれらと密に関係を持つことができるようになった。商品を通じてだけど。

しかもこの商品は、利潤を得る為に生産されたモノなのだ。腐ってやがる。

 


っていうか、そもそも精子の段階で、既に利潤と関係してるんだよね。

だって、父親が生命を維持するには商品が必要なんだもん。(母親も同様よ)

僕が生まれた病院のベットも商品だろうしね。

僕が毎日身につけている衣服も食べている食べ物もこの文章を書いているパソコンも、みーんな、利潤を獲得するために生産された商品なんだよね。

ってことは、僕は労働力を売らずとも、資本の拡大(利潤の発生)に貢献してるんだね。

労働力を営利企業に売るようになれば、晴れて、利潤の誕生に直接的に貢献するわけだ。

すごいね。人間が利潤(資本の拡大)の為に生まれてきたみたいじゃないか。人間が資本の増殖の為に存在しているみたいじゃないか。