これも、「線引き」?

他者は、どこまでいっても、他者なのではないか。

わざわざ、クオリアなど持ち出す必要もない。現に、我々は異なっている。

 

「私」は、「死」によって、この「線引き」を超越するのだろうか。

手段としての「死」の役割について考える。

やはり、人間はおもしろい。

 

だが、死の先に、何かがあるのだろうか。分からない。

寒い。暗い。孤独。無。

我々は、死んだらどうなるのだろう。